終末のワルキューレⅢ|神と人類、運命を分ける“王と信念”の激突
イントロダクション
神々の評議会で決定された、人類滅亡という冷酷な結論。
それにただ一人、真っ向から異を唱えたのが戦乙女(ワルキューレ)のブリュンヒルデだった。
「ならば、神と人類が一対一で戦って決めましょう」
こうして始まった神VS人類の最終闘争〈ラグナロク〉。
13番勝負の戦いはすでに中盤へ突入し、戦績は3勝3敗の五分。
どちらが次に一歩抜け出すかで、この世界の未来は大きく傾く。
そんな緊張感MAXの局面から描かれるのが
**『終末のワルキューレⅢ』**だ。
作品情報
- 作品名:終末のワルキューレⅢ(Record of Ragnarok III)
- 配信:Netflix(独占)
- 配信開始:2025年12月10日
- ジャンル:バトル/神話/歴史ファンタジー
- 基本構造:
神代表13人 vs 人類代表13人
一騎打ちの勝敗で、人類の存亡が決まる
あらすじ
ROUND7
冥界の王 ハデス VS “始まりの王” 始皇帝
この第7回戦は、シリーズ全体を見ても特別な意味を持つ一戦。
なぜなら、これは単なる「強さ比べ」ではない。
“王とは何か”を証明する戦いだからだ。
神側:冥界の王 ハデス
ポセイドンの兄であり、冥界を統べる絶対王。
感情をむき出しにするタイプではないが、その静かな怒りは底が知れない。
弟を討たれた復讐心。
そして王としての威厳と責任。
ハデスはこの戦いに、
「勝つため」ではなく
「王が王である理由を示すため」に立っている。
人類側:“始まりの王” 始皇帝
中国を初めて統一し、国家という概念を完成させた男。
彼が背負うのは一国ではない。
人類の“文明の始点”そのものだ。
始皇帝の戦い方は異質で、技巧的で、どこか優雅。
だがその奥には、「民を守る」という揺るがぬ信念がある。
見どころ
- 王の孤独 vs 王の覚悟
- 力ではなく「在り方」でぶつかり合う頂上決戦
- 勝敗以上に、心を揺さぶる“王の哲学”
この試合を制した側が、精神的にも流れを完全に掴む。
まさにシリーズのターニングポイントだ。
ROUND8
人類の叡智 ニコラ・テスラ VS 破滅の化身 ベルゼブブ
ここで毛色は一変する。
人類側:ニコラ・テスラ
英雄でも戦士でもない。
拳で歴史を切り開いた男でもない。
彼が持ち込むのは、科学・発明・理論。
つまり、人類が積み重ねてきた「考える力」そのものだ。
テスラは叫ばない。吠えない。
ただ静かに、未来を信じて戦場に立つ。
神側:ベルゼブブ
存在自体が不気味で、空気を腐らせる神。
破壊と虚無を象徴するようなその佇まいは、
「努力」や「希望」といった概念を真っ向から否定する。
見どころ
- 神の理不尽 vs 人類の理論
- 「殴る」より「考える」戦い
- 科学は神を超えられるのか?
この戦いは、人類の可能性そのものを問う試合になる。
ROUND9
光の神 アポロン VS スパルタ王 レオニダス
最後は、これぞ真正面衝突。
神側:アポロン
美、芸術、光を司る神。
戦いの場ですら、自らの輝きを失わない圧倒的存在感。
彼にとって戦いは、
勝敗以上に「魅せるもの」。
人類側:レオニダス王
スパルタの王。
言葉は少なく、戦い方は泥臭い。
だがその背中には、
「退かない」という思想が刻み込まれている。
見どころ
- 華やかさ vs 泥臭さ
- 神の美学 vs 人間の誇り
- 観ていて一番“熱くなる”肉弾戦
この一戦は、理屈抜きで心を掴みにくる。
まとめ
『終末のワルキューレⅢ』は、
単なるバトルアニメではなく、
- 王とは何か
- 知性とは何か
- 人間である意味とは何か
を拳と信念で語る物語。
勝敗が決まるたびに、
「人類って、案外すごいかもしれない」
そう思わせてくれるのが、このシリーズの最大の魅力です。
私の感想
『終末のワルキューレⅢ』は、
神と人類の強さ比べというより、
**「未完成な存在に生きる価値はあるのか」**を問う物語だと感じました。
神々は完成された存在で、合理的で、迷いがない。
一方の人類は弱く、非効率で、失敗だらけ。
それでも考え、悩み、立ち上がり続ける。
王たちは力で支配するのではなく、
それぞれの「背負い方」を示し、
科学者は勝利ではなく思考の継続を証明し、
戦士は退かない理由を身体で語る。
Ⅲで描かれていたのは、
完璧さではなく、変わり続けることの尊さでした。
強くなくてもいい。
正解を持っていなくてもいい。
それでも前に進もうとする限り、
人類は滅ぼされるべき存在じゃない。
そんな静かな肯定が、
このシーズンには込められていたと思います。
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